2011/3/13の日常
- 今、大阪に住んでいる。自分にできることは何か、を悩む日々が続いている。でも参考になったブログがあった。書き留めておく。
- 内田樹さんのブログ。
- 「安全なところにいるもの」の基本的な動作として、「寛容」、「臨機応変」、「専門家への委託」が重要と書かれてある。
- このブログを見る前に、岡田斗司夫さんのツイートに、非常に納得していたのだ。いくつか抜粋してみる。
- 誤解を恐れずに、あえて僕は言う。「もし、本当にダメな時が来たら、みんなで被害を分け合おう。一人だけ助かろうと思えば、けっきょく自分も周囲も不幸になる」 すごく愚かなことを言ってるかも知れないけど、理屈で考えたら、これが最適解ではないだろうか?
- 地震や津波の被害、原発の情況を、僕たち日本人の大半が知りすぎようとするのは、どう考えても「負の連鎖」を生む。テレビを見るために起きていては電力を消費するし、僕たちが不安な気持ちになっても問題の解決に役立たない。
- 家族が被災地にいる人は、そうはいかないだろう。でも僕たち大半の人間にとっては「知りたい欲求」「不安な気持ち」は押さえられるはずだ。それを「不安だから」「知る権利」と考えちゃいけない、と思う。
- みんなが「自分や、自分の大事な人のために」という不安で行動したらどうなるのか、もうわかってる。だからやめる。結果を世間と共有する。
- 買いだめしない。必要以上に知ろうとしない。専門家を疑わない。結果をみんなと共有する。
- もう一つ、大事なこと。僕が言ったやりかたを、人には強制しない。これは「理屈っぽい」考え方だ。いま、現に不安な人はこういう考え方をできない。だから無理に説得はしない。自分だけのルールとして守ればそれでいい。
- あと、物質的な面と、精神的な面の両面でのバックアップが必要で、それぞれの内容を実現するのには背反的なこともあるだろう。ただ、どちらも重要なのだ。それらを、安全なところにいるものとして、不安な気持ちや知りたい要求を抑えながら、「寛容」、「臨機応変」、「専門家への委託」で対応することを応援したいし、実行したい。